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撞くなの鐘 【鳴虎報恩寺】 [鐘楼巡り]

報恩寺は寺宝である掛け軸 『鳴虎』とともに
『撞くなの鐘』 との別称もある梵鐘も見所のお寺です。
(ただし「鳴虎」は通常一般公開されていません)

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報恩寺は東西を「堀川通」と「小川通」、南北を「上立売通」と「寺之内通」に挟まれた
ちょうど真ん中あたりに位置しています。
山門は西側(小川通側)にあります。
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山門前には橋が架かっていますが川は流れていません。
かつて「小川(こかわ)」という川があった(昭和38年(1963年)に埋められた)そうです。
この川の名が小川通の由来とのことです(ただし通りの読みは「おがわどおり」)。

【参考】右の写真は小川に架かっていたという百々橋の遺構
橋脚の礎石の一つだそうです(駒札標識参照)。
山門から(地図上で)まっすぐ北へ上がった寺之内通との角にありました。

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特別公開の時に見ることができた客殿前の庭と客殿と玄関の間の中庭。
(位置違うかもしれません)
待合があったので茶室もあるようです。




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鐘楼は山門から入って左手(南側)にある墓地の前にあります(googleマップ)。
(客殿は右手(北側))

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鐘楼はあまり凝った作りではないと思われます。
周囲の板張りも保護のために後年追加された物だと思われます。
報恩寺もたびたび火災に遭っているようなので
鐘楼自体も特に創建時のものを復元するという形を取っておらず近年のもの(構造)かもしれません。

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鐘楼のすぐ近くには水子地蔵がいらっしゃいます。


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畠山持国が陣鐘(じんがね)として用いたといわれる鐘。

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上京区Webサイトの説明によると
池の間には金剛界四仏を籠字(かごじ)の梵字であらわし,その下に梵文の真言を刻んでいる
とのこと。
池の間(いけのま)とは梵鐘の胴を上中下と分けると真ん中の広いところ。
銘文などが刻まれるエリア。

また文化財データベースによると
池の間四区にわたって、種子【しゆじ】(仏名を梵字であらわす)と真言陀羅尼(密教での仏の言葉として(短句)と陀羅尼(長句)の併称、一種の呪文)を以て荘厳している。平安時代から鎌倉時代にかけて、真言陀羅尼の功徳に対する信仰が盛行したことは記録によって知られるが、報恩寺梵鐘は無紀年銘ながら、平安時代後期の形式をもつものである。
と、もはや素人にはさっぱりわかりません。。。(^_^;

ただ国と区で若干違うこと言ってる気もするのですが、、、

鐘楼奥に貼られているのはその銘文の写しなのでしょう。
あまり注目していませんでした。

梵鐘研究家ではないのでこれ以上深追いはいたしません (-_-)



さてさて『撞くなの鐘』と言われる由来ですが
境内に掲示がありましたので引用させていただきます。

この鐘には撞くなの鐘、或いは撞かずの鐘という悲しい伝説がある。
昔からこの附近一体の織屋では朝夕に鳴る報恩寺の鐘の音が一日の仕事のはじめと終わりの合図であった。
ある織屋に仲の悪い丁稚と織女がいたが報恩寺の夕べの鐘がいくつ鳴るかについて賭けをした。
丁稚は八つといい織女は九つと言い争った。
悪賢い丁稚は寺男に頼みこんで今夕だけは八つで止めてほしい願いを約束させた。
何も知らない人のよい寺男は、簡単に引き受けてしまったのである。
さて夕べになり鐘は鳴り始めた。丁稚と織女は一つ二つと数えはじめたが、どうしたことか鐘は八つで終わってしまった。
百八煩悩を除滅することを願って撞くので百八が基準であり十二分の一の九つが正しいのである。十二分の一、六分の一、四分の一、二分の一などに分けて撞くこともある。
賭けに負けた織女は惜しさ悲しさのあまり、鐘楼にて首をつり自殺するに及び、その怨霊のたたりが鐘を撞くと不吉なことが生ずるので暑く供養して菩提を弔い、朝夕に鐘を撞くのを止め、除夜と寺の大法要にのみ撞くようになったというのである。

~後略~



なるほど。
、、、ではありますが この種の伝説によくある腑に落ちない部分というか言及されない部分も気になります。

伝説の話の流れは分かりました。
では丁稚の話に乗った寺男はどうなったんでしょう?

108回を分数にした数を撞かなければならないところを勝手に少なく撞いてしまった。

寺男として許されることでしょうか?
周囲の住民は不審に思わなかったのでしょうか?
住職は捨て置いたでしょうか?

寺男が一番の重罪人ではないでしょうか?


南無阿弥陀仏



寺院名:報恩寺(尭天山佛牙院鳴虎報恩寺)
宗派:浄土宗
形式:切妻造、瓦葺
創建:不明。開山は文亀元年(1501年),天正13年(1585年)現在地に移転
梵鐘の鋳造時期:平安時代
梵鐘の寸法:高 123.5cm 口径 73cm 厚---cm 約 ---t
その他除夜の鐘のみ先着で一般も撞くことができる

境内掲示および下記参考サイト参照








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