東福寺の鐘楼(1/3) 殿鐘楼 [鐘楼巡り]
東福寺の鐘楼は3箇所でいつでも見られます。
今回は 『殿鐘楼』 です。
西の「日下門」近く、
南東に「法堂(本殿」)、北東に「通天橋」があります。
手前 『殿鐘楼』、奥 『経蔵』
経蔵としっくいの壁で一体になっているように見えます。
鐘楼自体もしっくいの壁で覆われているので
初めて見た時は鐘楼だとは気づきませんでした。
まだ図々しさがないので上がってのぞき込むなんてことはしていません(^_^)
なぜ『鐘楼』でなく『殿鐘楼』なのだろう?
東福寺のパンフにも特にことわりもなく普通に殿鐘楼と載っています。
↓
「殿鐘」とは小さめの梵鐘のことで「半鐘」などと同義のようです。
なるほど。それで東福寺の鐘楼は区別できるのかと分かりました。
撞木側より。
経蔵前庭も結構良い庭です。
経蔵前より。
図々しく可能な限り近づいた写真を撮ったら追加していきます。
現在吊されている殿鐘は複製で
原型は収蔵庫に保管されているようです(拝観不可)。
その鐘には「竜頭」がないらしいのです。
で、これが摩訶阿弥陀仏の石碑。
ここに天竜寺があったのでしょう。日下門の南西の位置です。
ぽつんと竹林の中にあるのが不思議に(興味深く)思って
知らずに撮っていてあとで伝説を知って「あ。あれだ!」となりました。
南無釈迦牟尼仏
東福寺の鐘というと
開山から750年以上毎夜鳴らされるという開山堂・常楽庵の鐘がありますが
見落としていない限り 通常は見ることは出来ません。
開山から750年以上毎夜鳴らされるという開山堂・常楽庵の鐘がありますが
見落としていない限り 通常は見ることは出来ません。
今回は 『殿鐘楼』 です。
西の「日下門」近く、
南東に「法堂(本殿」)、北東に「通天橋」があります。
手前 『殿鐘楼』、奥 『経蔵』
経蔵としっくいの壁で一体になっているように見えます。
鐘楼自体もしっくいの壁で覆われているので
初めて見た時は鐘楼だとは気づきませんでした。
まだ図々しさがないので上がってのぞき込むなんてことはしていません(^_^)
なぜ『鐘楼』でなく『殿鐘楼』なのだろう?
東福寺のパンフにも特にことわりもなく普通に殿鐘楼と載っています。
↓
「殿鐘」とは小さめの梵鐘のことで「半鐘」などと同義のようです。
なるほど。それで東福寺の鐘楼は区別できるのかと分かりました。
撞木側より。
経蔵前庭も結構良い庭です。
経蔵前より。
図々しく可能な限り近づいた写真を撮ったら追加していきます。
現在吊されている殿鐘は複製で
原型は収蔵庫に保管されているようです(拝観不可)。
その鐘には「竜頭」がないらしいのです。
むかし東福寺の隣に天竜寺という寺があり、そこの僧「摩訶阿弥陀仏」が この殿鐘を無断で持ち帰ろうとしたところ東福寺の「韋駄天」が跳んできて押さえた。
二人が引っ張り合っていると鐘が分かれて竜頭は摩訶阿弥陀仏の手に、鐘身は韋駄天の手に残ったため竜頭がない鐘となり鐘楼には針金で吊られていたという伝説があるそうです[4]。
二人が引っ張り合っていると鐘が分かれて竜頭は摩訶阿弥陀仏の手に、鐘身は韋駄天の手に残ったため竜頭がない鐘となり鐘楼には針金で吊られていたという伝説があるそうです[4]。
で、これが摩訶阿弥陀仏の石碑。
ここに天竜寺があったのでしょう。日下門の南西の位置です。
ぽつんと竹林の中にあるのが不思議に(興味深く)思って
知らずに撮っていてあとで伝説を知って「あ。あれだ!」となりました。
南無釈迦牟尼仏
寺院名: | 東福寺(慧日山 東福禅寺) |
---|---|
宗派: | 臨済宗東福寺派 |
形式: | 桁行一間、梁行一間、一重、切妻造、本瓦葺 |
創建: | 室町時代(後期) |
梵鐘(殿鐘)の鋳造時期: | 平安時代(原型) |
梵鐘(殿鐘)の寸法: | 高 1.4m 口径 1.0m 厚8.5cm 約 ---t |
東福寺パンフレットおよび下記参考サイト参照
[1] 東福寺
[2] 京都府 文化環境部 文化財検索
[3] 東福寺 - 京都寺社案内
[4] 東福寺 - 京都歩く不思議事典
1243年東福寺開山
聖一国師1258年建仁寺住職
756(=2014-1258)年
[2] 京都府 文化環境部 文化財検索
[3] 東福寺 - 京都寺社案内
[4] 東福寺 - 京都歩く不思議事典
1243年東福寺開山
聖一国師1258年建仁寺住職
756(=2014-1258)年
週刊 古寺を巡る 38 東福寺 京都五山文化の一角をになう巨刹(小学館ウイークリーブック)
- 作者:
- 出版社/メーカー:
- 発売日: 2007
- メディア: 雑誌
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