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京都で最初の日蓮宗寺院。妙顕寺の鐘楼 [鐘楼巡り]

京都で最初の日蓮宗の寺院 『妙顕寺(みょうけんじ)』です。
京の冬の旅」の期間中に訪れました。

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myo-kenji2014-02_08.jpg 山門(大門)。
鐘楼は昭和40年(1965年)まで大門の東隅にあったそうです。
南から見ているので右の方にあったんでしょうね。
あとで知ったのでそのあたりがどうなっていたか観察はしていません。
myo-kenji2014-02_01.jpg 小門。
大門の並びにあります。
位置的には大門の左(西)側。
訪れた時は分からなかったのでこちらから入山しました。
(前の人に従ったという話も、、、)
myo-kenji2014-02_07.jpg 本堂。
myo-kenji2014-02_06.jpgmyo-kenji2014-02_05.jpg
珍しい形の「妙顕寺型」と言われる灯籠。一部破損しているのが残念です。
右は鬼子母神を祀る「尊神堂」ですが
伽藍や灯籠の横姿に注目したのではなくうっっすら月が見えてました (^_^)

myo-kenji2014-02_02.jpgmyo-kenji2014-02_03.jpgmyo-kenji2014-02_04.jpg
龍華飛翔の庭(四海唱導の庭)、孟宗竹林の庭、光琳曲水の庭



開山日像上人は開祖日蓮から「京都で日蓮宗を広めよ」との命を受け
見事京都での布教活動に大成功したのでした。
信者がいない状態から一気に多くの民衆を取り込んだわけですから
他の寺院(宗派)から敵対視されるのも当然ですし
(あくまで私見ですが)アバンギャルドな宗派ということも手伝ってか
日像上人は何度も京都から追放されるし
寺も何度も焼き討ちに遭ったようです。
(逆に他の寺院を焼いたりしたのも影響してるでしょうが、、、)

さらに天明の大火(天明8(1788)年)という天災によっても ほとんどの伽藍を失ったそうです。
(天明の大火では妙顕寺のみならず御所も含む多くの寺社、建造物が被害に遭ったようです)
以上私的解釈含




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鐘楼も天明の大火で焼失し
三菩薩堂などと同じく寛政2年(1790年)に再建されたようです。
(本堂の再建はさらに後)

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『南無妙法蓮華経』
境外から。背中の方に裏千家、表千家ありました。
表札が 「千」 なんで一瞬 なんだこれ?って思いました。
「千」と書かれててもすぐにはピンときませんでした (^_^)

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季節が合えば桜がキレイだったでしょうね。

南無妙法蓮華経



寺院名:妙顕寺 (具足山 龍華院 妙顯寺)
宗派:日蓮宗
形式:桁行一間、梁行一間、一重、切妻造、桟瓦葺
創建:寛政2年(1790年)再建
先代は不明。寺院は 天正12(1584)年 現在地に移転
天明の大火で焼失による 再建 
梵鐘の鋳造時期:正徳3年 (1713年)
梵鐘の寸法:高 ---m 口径 ---m 厚---cm 約 ---t

下記参考サイト参照








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