妙法院門跡。 [街ブラ+寺社めぐり]
智積院のあとは女坂を挟んで妙法院門跡(みょうほういんもんぜき)に向かいました。
妙法院は以前 日本酒の利き酒会に行ったあとに知人に連れてきてもらいました。
『唐門』
唐門からは入ることができません。
こころなしか違和感を感じていたら(ピンとこなかった。写真整理していて唐門がどれなのか最初分からなかった)
名称とは異なり唐門の形状をしてないようです。
※調査しました→唐門は切妻の部分が曲線状になっている門の名称なのだそうです(wikipedia参照)。
そういえば今まで各所で見た唐門はそうでした。
唐門と言われてピンとこなかった理由はこれでした。
少し北上した門から入ります。
すぐに現れるのが『庫裏』
国宝です。
庫裏と連なるように『大玄関』
京都御所の殿舎の一部を移築したと伝えられているそうです。
明治天皇は二度行幸されたそうです。
お堂などは通常公開されていませんし
ほとんどのお堂には近くにさえも行けませんが
お庭などは自由拝観できます。
三条実美らの公家が追放された「七卿落ち」の出発地(集結地)だったそうです。
『普賢堂』
普賢堂前から『宸殿(しんでん)』を
木に隠れちゃってますね。
七卿落の解説と年表が宸殿前に掲げられています。
宸殿と普賢堂の間を進むと池と庭園があるのですが
近くまでは行けません。
かなりいい感じのお庭なんですけどねぇ~、、、
弁財天さんも祀ってあるのですがそこへも行けません。
そのほか敷地南側に元境外地である「積翠園」という庭園があるようですが
売却され病院所有地となり
さらに病院も閉鎖され現在はホテル建設中のため そこへも行くことができません(T_T)
門跡というのは
妙法院は青蓮院、三千院とともに天台三門跡と称されているそうで
妙法院、青蓮院と行ったので(青蓮院より前に妙法院に訪れていた)
そうなると三千院も行ってみたいですよね~
有名だし(^_^;
あと三十三間堂は妙法院の仏堂なのだそうです。
三十三間堂も行ったことないので行ってみたいですね。
妙法院は以前 日本酒の利き酒会に行ったあとに知人に連れてきてもらいました。
『唐門』
唐門からは入ることができません。
こころなしか違和感を感じていたら(ピンとこなかった。写真整理していて唐門がどれなのか最初分からなかった)
名称とは異なり唐門の形状をしてないようです。
※調査しました→唐門は切妻の部分が曲線状になっている門の名称なのだそうです(wikipedia参照)。
そういえば今まで各所で見た唐門はそうでした。
唐門と言われてピンとこなかった理由はこれでした。
少し北上した門から入ります。
すぐに現れるのが『庫裏』
国宝です。
庫裏と連なるように『大玄関』
京都御所の殿舎の一部を移築したと伝えられているそうです。
明治天皇は二度行幸されたそうです。
お堂などは通常公開されていませんし
ほとんどのお堂には近くにさえも行けませんが
お庭などは自由拝観できます。
三条実美らの公家が追放された「七卿落ち」の出発地(集結地)だったそうです。
『普賢堂』
普賢堂前から『宸殿(しんでん)』を
木に隠れちゃってますね。
七卿落の解説と年表が宸殿前に掲げられています。
宸殿と普賢堂の間を進むと池と庭園があるのですが
近くまでは行けません。
かなりいい感じのお庭なんですけどねぇ~、、、
弁財天さんも祀ってあるのですがそこへも行けません。
そのほか敷地南側に元境外地である「積翠園」という庭園があるようですが
売却され病院所有地となり
さらに病院も閉鎖され現在はホテル建設中のため そこへも行くことができません(T_T)
門跡というのは
皇族・貴族が住職を務める特定の寺院(wikipedia)のことを言うそうです。
妙法院は青蓮院、三千院とともに天台三門跡と称されているそうで
妙法院、青蓮院と行ったので(青蓮院より前に妙法院に訪れていた)
そうなると三千院も行ってみたいですよね~
有名だし(^_^;
あと三十三間堂は妙法院の仏堂なのだそうです。
三十三間堂も行ったことないので行ってみたいですね。
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