精霊迎えの鐘、送りの鐘 千本ゑんま堂・引接寺の鐘楼 [鐘楼巡り]
『ゑんま堂』 と言う なんとも怖い別称のある 『引接寺(いんじょうじ)』 は
千本通沿いにあり、船岡山の南西…ほぼ南に位置します。
千本通沿いの商店街の並びにあります。
左に見えているのは本堂です。
小野篁卿が閻魔法王から授かった法儀「精霊迎えの法」の根本道場として
自ら閻魔法王の姿 を刻み建立した祠がゑんま堂の開基なのだそうです。
思わぬところでまた小野篁卿の名を目にしました。
以前おとずれた(時間的にはゑんま堂のあとに訪れた)
紫式部墓所の隣にあったのが小野篁卿の墓所でした。
「精霊迎えの法」は現在の盂蘭盆会に発展していくもとになったそうです。
また「引接」とは「引導」と同義なのだそうで
やはりこの世とあの世に関わりの深い寺院名ですね。
本堂脇から奥の方に進むと水塔婆流しも行われる地蔵供養池がありました。
※控えめの写真にさせていただきました。
供養池からさらに奥に進んだところには大杉権現さんや童観音、紫式部の供養塔(九重塔)などがありました。
このあたりで写真を撮っていると山門前で見かけた子供が現れました。
塀(といっても木枠や植物などを使ったもの)で(境内駐車場と)隔てられており
その先は行き止まりだと思っていたので
どこから入ったのかな?と不思議に思いました。
ひょっとしてあの子はあの世とこの世を行き来する子だったのでは・・・!
結局進んでいくと鐘楼脇に出てきました。(*^_^*)
鐘楼は境内北側にあります。
周囲にお飾りの提灯が掲げてあって訪れた時は由縁を知らなかったので
派手だなぁと思っていました。
迎え鐘・送り鐘の意味もその時はわかりませんでした。
こう言っては語弊ありますがお寺全体に対して鐘楼が大きく感じました。
実際に大きめの鐘楼です。
天井もあり、梵字が書かれています。
鐘楼、梵鐘ともに近くで見ることが出来るのはありがたかったです。
天井板に昭和五十年の記載があります。
基壇も柱の下のみという珍しい形です。
(おかげで鐘楼の真下にも楽に入れました)
千本通沿いにあり、船岡山の南西…ほぼ南に位置します。
千本通沿いの商店街の並びにあります。
左に見えているのは本堂です。
小野篁卿が閻魔法王から授かった法儀「精霊迎えの法」の根本道場として
自ら閻魔法王の姿 を刻み建立した祠がゑんま堂の開基なのだそうです。
思わぬところでまた小野篁卿の名を目にしました。
以前おとずれた(時間的にはゑんま堂のあとに訪れた)
紫式部墓所の隣にあったのが小野篁卿の墓所でした。
「精霊迎えの法」は現在の盂蘭盆会に発展していくもとになったそうです。
また「引接」とは「引導」と同義なのだそうで
やはりこの世とあの世に関わりの深い寺院名ですね。
本堂脇から奥の方に進むと水塔婆流しも行われる地蔵供養池がありました。
※控えめの写真にさせていただきました。
供養池からさらに奥に進んだところには大杉権現さんや童観音、紫式部の供養塔(九重塔)などがありました。
このあたりで写真を撮っていると山門前で見かけた子供が現れました。
塀(といっても木枠や植物などを使ったもの)で(境内駐車場と)隔てられており
その先は行き止まりだと思っていたので
どこから入ったのかな?と不思議に思いました。
ひょっとしてあの子はあの世とこの世を行き来する子だったのでは・・・!
結局進んでいくと鐘楼脇に出てきました。(*^_^*)
鐘楼は境内北側にあります。
周囲にお飾りの提灯が掲げてあって訪れた時は由縁を知らなかったので
派手だなぁと思っていました。
迎え鐘・送り鐘の意味もその時はわかりませんでした。
こう言っては語弊ありますがお寺全体に対して鐘楼が大きく感じました。
実際に大きめの鐘楼です。
天井もあり、梵字が書かれています。
鐘楼、梵鐘ともに近くで見ることが出来るのはありがたかったです。
天井板に昭和五十年の記載があります。
基壇も柱の下のみという珍しい形です。
(おかげで鐘楼の真下にも楽に入れました)
南無大師遍昭金剛
寺院名: | 千本ゑんま堂 引接寺 (光明山歓喜院引接寺) |
---|---|
宗派: | 高野山真言宗 |
形式: | 入母屋造、本瓦葺、格天井あり |
創建: | 開山は寛仁元年(1017年) 昭和50年(1975年)再建? |
梵鐘の鋳造時期: | 康歴元年(1379年) |
梵鐘の寸法: | 高 1480mm 口径 82mm 厚---mm 約 ---t |
下記参考サイト参照
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