新日吉神宮。2014年1月。 [街ブラ+寺社めぐり]
まだ1月の記事です。。。(^_^;
阿弥陀ヶ峰(豊国廟)を訪れたとき
参道である女坂の途中に鳥居が現れた。
新日吉神宮(いまひえじんぐう)。
「しんひえじんぐう」と読んでいたが帰って調べてみると"新"←"いま"と読むと知った。
今回は提灯で。
東大路通から5分ほど登ったところでした。
左に行くと豊国廟参道です。
まっすぐ進めば楼門見えてますが
左手に『山口稲荷神社』
鳥居の朱が若干薄れてるのが寂しげ。
さて『楼門』です。
立派で鮮やかです。
豊国廟目指して来ていたので
途中にこんな神社が、しかもこんな立派な楼門が見られるとは思ってもいませんでした。
『手水舎』と後方には
『元京都午砲台跡』
正午をお知らせする時報に大砲を使っていたんだそうです。
すごいですねー。
この台座の上に大砲が載っていたようです。
『拝殿』
『本殿』
拝殿から高い位置にあります。
『石標』
石段横にありました。
(参道の石標は東大路通にありました)
大黒様。
撫で大黒ですね。
本殿左に『飛梅天満宮』
ここの梅も今頃(3月現在)、見頃を迎えてるんじゃないでしょうか。
本殿裏にご神木の『スダジイ』
樹齢500~800年と言われているそうです。
樹齢に幅があるなぁ、、、しかし誰も数えてませんからね。
それにしてもこの地で よくぞここまで守られてきましたね。
それだけでも相当貴重ですね。
実物はかなり圧巻です。
これだけで1記事書けそう。
本殿右の摂末社
『豊国神社(樹下社)』と『愛宕社・秋葉社』
『樹下社』は「このもとのやしろ」と読むようですが
「樹下」→「きのした」→「木下」ととれることから徳川期に密かに豊臣秀吉を祀っていたのではないかと言われているそうです。
本殿を横から撮っていると
標示が。
『御神猿の霊験』が見えると言うことで
双眼鏡と単眼鏡が設置されていました。
(※朝露を浴びていたせいか曇っていてよく見えませんでした)
撮ってみましたがあっち向いてました(^_^;
うーん。つれない!
そういえば秀吉公は青年期にサルと呼ばれていたこともあるので
猿が祀られているのも何となく関連づけて考えてしまいます(^_^)
で、本殿前には狛犬ならぬ狛猿がいます。
檻に入っていますが単にイタズラ防止だと思っていたら
それだけではなく夜中に動き回らないようにするため
という素敵な由緒がありました(^_^)
ちなみにご存じの方は「何を馬鹿な」と思われていたかもしれませんが
樹下社のように暗に秀吉公を祀っていたのではなく
日吉神社が猿を神使としていて
秀吉公の幼名が日吉丸であることやあだ名がサルであることから
秀吉公が日吉神社を擁護していたというのが実際のようです。
阿弥陀ヶ峰(豊国廟)を訪れたとき
参道である女坂の途中に鳥居が現れた。
新日吉神宮(いまひえじんぐう)。
「しんひえじんぐう」と読んでいたが帰って調べてみると"新"←"いま"と読むと知った。
今回は提灯で。
東大路通から5分ほど登ったところでした。
左に行くと豊国廟参道です。
まっすぐ進めば楼門見えてますが
左手に『山口稲荷神社』
鳥居の朱が若干薄れてるのが寂しげ。
さて『楼門』です。
立派で鮮やかです。
豊国廟目指して来ていたので
途中にこんな神社が、しかもこんな立派な楼門が見られるとは思ってもいませんでした。
『手水舎』と後方には
『元京都午砲台跡』
正午をお知らせする時報に大砲を使っていたんだそうです。
すごいですねー。
この台座の上に大砲が載っていたようです。
『拝殿』
『本殿』
拝殿から高い位置にあります。
『石標』
石段横にありました。
(参道の石標は東大路通にありました)
大黒様。
撫で大黒ですね。
本殿左に『飛梅天満宮』
ここの梅も今頃(3月現在)、見頃を迎えてるんじゃないでしょうか。
本殿裏にご神木の『スダジイ』
樹齢500~800年と言われているそうです。
樹齢に幅があるなぁ、、、しかし誰も数えてませんからね。
それにしてもこの地で よくぞここまで守られてきましたね。
それだけでも相当貴重ですね。
実物はかなり圧巻です。
これだけで1記事書けそう。
本殿右の摂末社
『豊国神社(樹下社)』と『愛宕社・秋葉社』
『樹下社』は「このもとのやしろ」と読むようですが
「樹下」→「きのした」→「木下」ととれることから徳川期に密かに豊臣秀吉を祀っていたのではないかと言われているそうです。
本殿を横から撮っていると
標示が。
『御神猿の霊験』が見えると言うことで
双眼鏡と単眼鏡が設置されていました。
(※朝露を浴びていたせいか曇っていてよく見えませんでした)
撮ってみましたがあっち向いてました(^_^;
うーん。つれない!
そういえば秀吉公は青年期にサルと呼ばれていたこともあるので
猿が祀られているのも何となく関連づけて考えてしまいます(^_^)
で、本殿前には狛犬ならぬ狛猿がいます。
檻に入っていますが単にイタズラ防止だと思っていたら
それだけではなく夜中に動き回らないようにするため
という素敵な由緒がありました(^_^)
ちなみにご存じの方は「何を馬鹿な」と思われていたかもしれませんが
樹下社のように暗に秀吉公を祀っていたのではなく
日吉神社が猿を神使としていて
秀吉公の幼名が日吉丸であることやあだ名がサルであることから
秀吉公が日吉神社を擁護していたというのが実際のようです。
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